伊藤まさひろ世事感懐

長嶋茂雄さんに国民栄誉賞

プロ野球で活躍した選手は数多いのですが、そのプレーぶりが最もファンの脳裏に焼きついているのは長嶋茂雄さんでしょう。昭和49年10月に「我が巨人軍は永久に不滅です」とのセリフを残して引退するまで、はつらつとしたプレーと明るい性格が多くのファンに愛されてきました。

子どもの頃、野球が大好きだった私にとって、佐倉高校出身、郷土が生んだ名選手の長嶋さんは英雄でした。「長嶋さんのようにボールを打って、捕れるようになりたい」。そう思って練習に励んでいました。その長嶋さんが国民栄誉賞を受賞、東京ドームで左手一本でバットを振ったシーンを見て、感激で胸が震えました。

立教大学から巨人軍に入団、デビュー戦で当時、全盛だった金田正一投手に4打席4三振を喫しました。高校野球でも最初の試合は振るわなかったようです。昭和26年7月6日の夏の千葉大会2日目に佐倉高校は優勝候補の安房一(現在の安房高校)と対戦、1年生の長嶋さんは2打数無安打2四球に終わりました。

何かの折に長嶋さんは、私の野球人生はいつも三振で始まりましたとおっしゃったのを記憶しています。しかし、そこからが長嶋さんの凡人と違うところです。プロデビューの年はホームラン王、打点王と新人王を手中にし、やがて、ミスタープロ野球と言われるまでになったのはご存知のとおりです。高校野球でも同様です。昭和28年の南関東大会ではバックスクリーンに特大のホームランを放つなど、結局、高校3年間の公式試合で無安打に終わったのは1年生でのデビュー試合だけでした。

出だしでつまづいても、くじけずに全力を尽くす。多くの青少年に身をもって教えてくれた長嶋さんがこれまで、国民栄誉賞を贈られなかったのが不思議です。「広く国民に愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものを讃える」という国民栄誉賞の目的は、長嶋さんのたどってきた歩みそのものではありませんか。

国民栄誉賞に続いて千葉県民栄誉賞を受賞、さらに7月12日には佐倉市民栄誉賞が贈られました。長嶋茂雄記念岩名球場と新しい名前がつけられた球場には市民ら3100人が集まり、受賞をともに喜びました。長嶋さんも郷里の若い野球選手が、順調に育ってくれるのを望んでいることでしょう。佐倉シニア野球協会会長として、私も選手らの成長を見守っていますが、将来有望な選手が次々と育っています。様々な大会で活躍するのが楽しみです。