伊藤まさひろ世事感懐

スポーツ指導と体罰

スポーツ指導の場での体罰が問題になっています。大阪市立高校の男子バスケットボール部主将が監督の体罰に耐え切れずに自殺し、女子柔道では選手15人が前監督の暴力やパワーハラスメントをJOCに告発しました。

大阪市立高校や女子柔道の前監督はなぜ、指導に体罰が必要と考えたのでしょうか。選手をけり、ののしった女子柔道の前監督は「選手が突き当たっている壁を乗り越えさせたかった」と弁明しました。確かにスポーツは練習すれば右肩上がりに上達するものではありません。上達するには壁を一つずつ乗り越えて、さらなる高みを目指すものなのです。

壁を乗り越えさせるために、肉体への暴力や罵りによる恐怖が効果的と考えていたところに、彼らの大きな間違いがありました。「プレーでミスしたら腕立て伏せ50回」「チームの足を引っ張ったらグラウンド10周」。日本のスポーツの現場でよく見られた光景ですが、このような指導法を「日本独特の罰と恐怖による指導方法」と言う人もいます。

選手の肉体的な能力を把握し、その特徴に適した練習課題を与え、伸び悩む選手にはともに打開策を考えるという科学的なスポーツ指導が、勝利至上主義に凝り固まり、体罰もやむを得ないと考える指導者にはできないのでしょう。スポーツの楽しさの一つに、練習を積み重ねて上達する喜びがあります。罰を受ける恐怖で練習をすることに何の楽しさや喜びもありません。

悲しいことに、指導者の体罰を「愛の鞭」と評価する保護者がいました。体罰を受けて育った選手は、自分が指導者になった時に、同じように罰と恐怖による指導を行うのです。スポーツに暴力は不要です。スポーツ界全体が、改めてこのことを肝に命じなくてはなりません。